夢子の不思議体験のお話(*^。^*)

今晩は🌃七夕の夢子です✨今日は、夢子が今まで体験した不思議な話を書かせて頂きたいと、思います。

私の母親は、元々身体が弱かったのですが、夢子を産んでから更に体力が落ちて毎朝起きたら、しんどそうな顔を

して、普段の日常生活は笑顔どちらかというと少なかったです^^体調やしんどくても病院が嫌いで、本当に我慢

出来なくなる程辛抱してました('_')日常そういう顔そしていました。

ある時母が自分の母親の夢を見て、枕元で「墓石が・・」と言ってた夢を見たそうです。そして、母が気になって

自分の実家のお墓を見に行ったら、なんと実際に墓石が実際に傾いていたので、それを母に知らせる夢だったので

す。その後、すぐにお墓の傾きをきちんと直しました。そんな事がありました。

 

次に昔住んでいた自宅のトイレの鬼門の方向が悪くて、霊媒師の方に来て頂いて見て貰った事があります。

そして、夜中に霊媒師と母が真夜中に祈祷というか拝んで頂いたら、奈良の桜井市にある三輪神社のお社を祭って

いて、結構な長時間拝んで貰ったら母親に三輪神社の白鷹龍神様が、私の母親に乗り移り夜中に「う~う~・・」

と悲鳴をあげて唸ってました。私と父は2階で寝ていましたが、あの夜の事は想い出すとその声が大きく迫力あり

過ぎて、恐くて眠れなくて忘れられない夜になりました。その後、母親が余りしんどい想いをする事はなくなったの

ですがね・・。たまにテレビ番組で、霊の番組で祈祷をしている状況を映して放送していますが、正しくあの状況が

夢子の自宅で行われたのです😶未だに本当に何だったのか、あの夜の事は忘れられなく鮮明に心に焼き付いてます。

 

私の母は、霊感が強く金縛りによく合っていましたが、夢子も何だかそこは遺伝が知りませんが、似てしまい学生

の頃よく金縛りにあっていて、正しく誰かが夢子の体の上に重くのしかかって、動けない状態で息をするのもしん

どくて、「助けて~。」と自分では夢の中で大きく叫んでいるつもりでも、声は出せていない状態です(>_<)

何度となくそんな経験があります。そして霊感が強く、見えないものが見えたり、火の玉を見たりだとか、写真に霊

が写っていたり、実際に夢であった出来事が現実になったり、心の中で過った事がいい事も悪い事も全て現実になっ

たりする事が、重なったりした時は流石に怖かったです(-"-)だって、悪い内容が現実に起こったりしたら悲しい

です(T_T) 極め付けは、ある時自宅の壁時計が何故か地震でもないのにいきなり落ちて、その後電話が一本かかって

きて親戚が亡くなった知らせの電話がありました。これも不思議でした。

 

まだあります。何度も先程夢子は金縛りにあったと言いましたが、毎回怖くて目を開ける事は出来ませんでしたが、

たった一度だけいつもの様に金縛りにあった夜、勇気を出して目を開けたら何と❢母の半身の姿で私を怖い顔をして

見つめて、私のお腹に向けて白い矢を向けていた事がありました。あれは恐かったです('ω')何故母が私に怖い顔で

何を訴えたかったのか、幾ら考えても理由が分かりませんでした。亡くなってから約3年後の私が高校3年の時の

夜の出来事です。今考えると、あの世でまだ成仏出来てないのかと、物凄く心配しました。

それとも、私を残してこの世を去った事が心配で、成仏出来なくて私に会いに来たのでしょうか・・・。

 

あれはもう5年以上前に、父の弟の妻叔母さんが64歳で5月5日に母と一緒の卵巣癌で、亡くなりました。

私の母は、雨の日の5月13日の金曜日に亡くなりました。同じ卵巣癌なのは、何か因縁めいた物を感じます。

私は、叔母さんは自分の家族以外の私や父には、病院にお見舞いを望みませんでした。女性なので痩せ細った顔を

恐らく見せたくなかったのでしょう・・。私は母を15歳で亡くしてから、叔母さんには色々な人生の節目で大変

お世話になったので、お見舞いに行きたかったのですがお顔を見たかったけれど、それは本人が望んでいなかった

事なのでその考えを尊重しました。

 

だけど、私の中で何か心の中でお世話になった叔母さんに対して、今夢子が出来る事はないのかを考えた時、私はい

つもゴールテウィークは主人の実家に帰省しますが、その年は行くのをやめて主人だけ帰省して貰って、私は考えた挙句奈良

の千光寺というお寺があり、そこで一泊二日で修行をしに行きました。

叔母さんは、大阪の石切病院に入院していて、私が修行に行った千光寺はその病院から距離が近くて、見えなくても

私はそう遠くない距離から、今迄お世話になった叔母さんに対して拝む事で、その気持ちが伝わればいいなと思って

修行しました。作務したり座禅の時間があって精神統一したり、拝む時間があったり自分を見つめ直したり、お写経

で般若心経を書いたりしました。今迄プチ修行は、吉野で修験道の体験をしたり、山道を歩いたり夏に吉野の山で修行

したりはありましたが、泊まりでは始めてでした。今考えるといい経験をさせて頂いて、夢子は大変有り難いです🙏

 

一泊二日の修行があっという間に終わり、翌日にお寺の山を下りる時夢子はお世話になった叔母さんに、今私が出来

る全てのお礼を祈りを込めて祈る事で、叔母さんが痛みで辛い想いをしない様に手を合わせました。

自宅に帰る途中で夢子が父親に他愛ない会話で電話をしたら、夢子が修行を終えた5月5日に叔父さんから電話が父に

かかってきて、叔母さんが亡くなったという知らせを父から聞いたのです。

私は最後は叔母さんに会えなかったけど、夢子の中では精一杯の想いを込めてお世話になった叔母さんに対して、祈

るという事でお礼を言えたので、叔母さんには伝わった様な気がしています。夢子の中でも、その知らせを聞いた時

悲しい想いというより、何だかスッキリしたというか逆に心が和みました。悲しいけれど、でも叔母さんは意識の混濁し

た状況でも、見えないけど夢子の想いは充分伝わったと感じます。お世話になった叔母さんの最後を看取れなかった

けど、何の後悔もなく夢子は晴れやかな気分でいました。その後、亡骸の叔母さんに会って、心の中で感謝の言葉を

伝えました。このお話は、人間が自分の都合がいい様な解釈をしていると読んだ方が、そう感じたら本当そうかもし

れませんが、夢子はこれも不思議な体験でした(^o^)全ての事に対して、有り難く感じました(+_+)

 

私は心の中にまだ唯一お恥ずかしいですが、消化しきれていない事があります。人の死に対してです。

小さい頃母方のお爺さんが亡くなる頃から、人は死んだら何故か子供心に普通は悲しい想いをするのですが、私は

恐いとなってしまうのです。何故かお世話になった人の遺影の白黒の写真も、母と祖母の写真は未だに見れないの

です。自分でもそれは何故だか分かりませんが、恐らく母の死をまだ心の奥底では受け入れてないのだと感じます。

戦死をしたお爺さんの遺影は、直接関わってないので見れます。想い出すと母と祖母には、色々と心配をかけたので

そういう事もあるのかと思います。夢子の中で早くそれをクリアにさせたいのですが、未だ難しいままなのです。

時間をかけて何とかクリアさせたいと、思っております(@_@)

最後に夢子は、何故だか人の心の中を受け取ってしまいやすく、いつも分かってしまい見えてしまうので、

しんどくなります。どんな体質なのでしょうか・・ね。今日も無事に一日を終えて、感謝です🙏

 

今回は、夢子の様々な不思議体験のお話をさせて頂きました。読んで頂いてどう感じられたかは分かりませんが、

書かせて貰いました。聞いて頂いてどうも有難うございましたm(__)m お休みなさい(-_-)zzz

 

    七夕の夢子でした°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°🎋