夢子のこの半年間の出来事(*^^*)

皆様、大変ご無沙汰しておりましたm(__)m七夕の夢子です✨去年11月下旬のブログから、ブログから遠ざかっていま

した。それはASKAさんの11月の再逮捕の事があり大変ショックだったので、当時はブログを書けないでいたのです。

その2週間は、ずっとテレビで情報を収集していました。とても悲しい心情でした。

12月にASKAさんが釈放された時は、大変嬉しかったのを覚えていますm(__)m信じていましたので本当に良かったで

す^^その後、ブログを再開しょうと思っていたのですが、年末に元気だった私の父が自宅の畳の上で転倒して、偶々私

が実家に電話をしたイミングが父が転けたタイミングらしく、電話に父が自力で出たので気がついて私もすぐに実家に行きま

した。そういう身情が起こったので、それから父は救急車で搬送されて整形外科ですぐにレントゲンを取って、圧迫骨折

という事で即入院しました。それでバタバタとする日々が始まり、ブログを始める事が出来ませんでした。

79歳の父は、圧迫骨折は今回二度目で4年前にも自宅で板の間の上で転倒しました。その時は、まだ若かったのもあ

り自分で直後に自分で起きて移動は出来ました。そして転けた事により、口から血を吐いたのでそれがきっかけで、

胃潰瘍の一歩手前でこれも10日間程の点滴治療入院をしました。そして一度目の圧迫骨折では、通院で治療をしてい

ました。コルセットを作って、治療方法は安静加療です。第一腰椎が骨折して、骨が自然にくっつくまで安静です。

去年の二度目の転倒で、第三腰椎を骨折して数年前の骨折とほぼ変わらない腰を打ったので、今回は元々猫背でした

がより腰が曲がってしまいました。

 

一度目の入院では、2ケ月程のリハビリと安静加療で、歩ける様になりさ3月初旬に退院しました。

そして約2ケ月弱は、在宅で過ごしていました。その間は父は歩けるとはいえ、自宅内だけを歩いて過ごしていまし

た。トイレは自分で行けたので、私は3食の食事の用意をしに行き、食べるのは自分で出来るのでそんな生活を送ってい

ました。私も家庭の色々と、父の介護の事と忙しい日々を送っていました。父はお酒も好きなので、福岡に行った時

に〖氣心〗を父のお土産に買って帰り、それを父は熱かんにして冬の間は晩酌で飲んでいました。行動範囲が制限さ

れる父の唯一の楽しみは、食事と晩酌です。なのでとても美味しいと言って、頂いておりました。

 

私の中で何となく過るものが今考えるとあったかどうかは分かりませんが、去年の父のお誕生日🎂に一年早いです

が、80歳傘寿の祝いを前倒しでしようと思って、急遽お店を探して主人と傘寿のお祝いをしました。とても父は喜

んでくれた様で、食欲もあり全て完食して頂きました。節目の歳には、ずっと60歳の時から祝いを祝宴を叔父さん

を招いてしていました。今回もそうです。兼ねてから雪の富士山🗻を見たいと言っていたので、私の中で主

人にお願いして4月下旬の週末に計画して、一泊二日で思い切って雪の富士山🗻を見に長時間の運転で、お年寄には

体の負担も考えましたが行きました。片道9時間程かかりましたが、途中で休憩しながらお蔭様で交通渋滞もなく、

行きと帰りはお天気も晴天☼に恵まれて、ハッキリと綺麗な雪の富士山🗻を見る事が出来ました。父も大変喜んでくれて

「もういつ死んでも想い残す事はない」と言ったりしてました。この時は父は歩けたので何とか連れて行く事は出来

ましたが、食は細かったです。余り伊が小さくなっていたのか、食べませんでした。私も主人と父と夜は、郷土料理

の〖ほうとう〗を食べました。美味しかったです😋

 

宿泊先のご主人も大変いい方でした。父が高齢なので、色々と気配りと気遣いをして頂きました。偶然主人と同じ

趣味のbikeを入り口に飾っておられて、bikeの話で盛り上がったりして和やかないい雰囲気で、私もbike乗るので

話をさせて頂きました。高いbikeを持っておられて、主人も羨ましそうでした。

翌日もお天気☀で、富士山🗻をバックにして父を入れて、何枚も記念の写真も撮りました。何処による事もなく、父に

富士山🗻を見せに行くだけの旅でしたので、観光名所に立ち寄ったりした訳ではないですが、でも私は父との最後の

旅行になるであろうと、何となく過っていました・・・。

 

それから約1週間後に、父は在宅で二度日常生活の中での圧迫骨折が、レントゲンを取って見つかりました。骨が脆く

なっているのでしょう・・。祖母も想い出せば、自宅の裏玄関で転倒してから次第に寝たきり状態になり、私が介護

をさせて貰ってました。骨粗しょう症です。遺伝で父も骨が脆くなったのです。ある朝に腰の痛みだけでなく、右足

に迄痛みが回って歩けなくなりました。そして父がどうにも痛がるので、整形外科に連れて行きました。その時は、

以前お世話になった医師が体調不良で長期に休んでいて、他の医師になりましたがレントゲンを取って、でも圧迫骨折は

安静加療なので、父は入院を希望していましたがそれは出来ないという事で、自宅に一度帰りました。

そこから急遽父のオムツ交換が始まり、その1週間は大変でした。私はヘルパーの資格を幸いにして持っていたので、その

点は難なくこなせましたが、でもすぐに在宅での生活は厳しいと判断し、入所させて頂く施設を探す事になりました

。でもどうしても1週間経ち痛がるので、再度病院に行き入院することになりました。

同じくリハビリをしながら安静加療の治療です。そんな日々が続きました。今回は右足に痛みがあり、身体を起こすと

すぐに針をつく程の痛みが父の全身に走り、見ていても私は大変辛かったです('_')起き上がる事は出来ても、数分も

身体を起こせない状況になりました。そんな状況が約1ケ月続き、少しずつ毎日リハビリを父も頑張ってました。

食事が大変でした。父のペースで起きて食べ、痛いと横になりまた起きて食べてました。

 

漸く6月下旬頃には、車椅子にも乗れる様になり、リハビリで歩くのも歩行器をつけてですが、日毎に歩く距離が伸びて

いき父も自力で歩ける様になりましたが、まだ外で一人で歩いて行くには危なさがある状態です。

少しずつですが、回復する父を見て私もホッとしました。施設入所も決まり、先月下旬に退院しその足で施設に今は

入っています。3ケ月ですが、在宅に戻れる事を目的に週6回のリハビリを今しています。

自宅からの導線も近くて、いつでも会いに行けます。真面目な父は、凄く今頑張っています。私は応援してます。

どんな状態になっても、父には日一日でも長生きをしてほしい気持ちが強いです。本当に父には感謝してます。

じゃじゃ馬だった私を、母が病気で私が15歳の時他界してから、よくここまで育ててくれたと思います。

そして出会う人には、ご縁があり私は恵まれていた様な気がします。

 

父とも色々と私が成長する過程にはありましたが、それも今はいい想い出です。

私は小さい時から、母のしんどそうな顔を見る状況が日々多く、そんな環境で育ちました。

母は病院嫌いで、ギリギリまで痛くてもしんどくても病院に行く人ではなかったです。

でも母は、いっぱいの愛情で私を育ててくれました。母にも感謝です。そして、母が他界してから多感な時期の私を

祖母がいてくれたお蔭で、寂しい想いをする事がなく私は過ごす事が出来ました。祖母にも感謝です。

小さい時から我儘いっぱいの私でしたが、親には困らせてばかりいましたが、今父は痛みがなくなれば食事も取りま

すし元気です。自由が利かなくて、寧ろ暇を持て余しているかもしれません。でもリュウマチもあり、肺に疾患もあります

。母は早く旅立たれたので、今父に対して後悔のない様に、日々親孝行をさせて頂いておりますm(__)m

母と祖母の介護を経験して、今尚父の介護に向き合っています。これから主人のご両親も何れかはです。

そんな中で想う事は、私達夫婦は子供には残念ながら恵まれる事はなく、自分達が老後を迎える時期には、どちらか

が先に旅立った後1人残された方は、市の職員に自分の最後のお世話を委ねる事になります。

なるべくなら、人には迷惑をかけないで人生の終わりを私は迎えたいと思います。

 

明日は、私の40代最後のお誕生日です。一つ歳を重ねる事に毎年想う事ですが、この一年で自分自身を成長出来る様

にと、変われる様にと思っています・・が、毎年変われてない自分にもどかしさを感じたりもします。

またこれから、マイペースにブログを更新していきたいと思っています。

皆様、今後共どうぞ宜しくお願い致しますm(__)m

 

                  七夕の夢子でした°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°